行儀悪く座面に片足を乗せて、デスクチェアごとくるりと隣の相手に向き直る。立てた膝に腕を引っ掛けながらまじまじと見つめた横顔には疲労の色が滲んでいた。まだ日付は変わる前だが大分眠そうだ。 「前はこのくらいの時間なら余裕だったのに」 目頭を押さえる相方を眺めながら何気なく呟く。それは有り体に言えば肉体の衰えを指摘する一言だったが、晴臣が気にした様子はなかった。ムキになって否定することもない。寧ろどこか実感のこもった声で「そうだな」と認める辺り、本当に年を取ったのだなとしみじみ思う。 「十年も経てば流石にな。気力で押し通すのにも無理が出てくる」 「お、晴臣が珍しく殊勝だ」 「おい茶化すな」 「感心してるんだよ。どっかの誰かさんに見習ってもらいたいくらいには」 ため息混じりにわざとらしく言うと形のいい眉がぴくりと動く。遠回しに過去のことをちくちくと言われて面白くないのだろう。肘置きに体重を預けて「そこまでは言ってない」と不服そうに呟く。 「今の俺ができないってだけだ。そういうやり方を否定してるわけじゃない」 「えー、あんなへとへとになってたのに?」 「出来は良かっただろ」 ついさっきまでの謙虚さはどこへやら。こうも開き直りのように返されては少し意地悪を言ってみたくなる。そも、その出来の良さも勝率は五分五分だったことや根を詰めずとも同じ結果にはなっていたのではないか、なんてことは言い出したら泥沼になるので一旦脇に置くとして、 「けどフォローする側もまあまあ大変なんだぜー?」 さらりと苦言を呈すると口元にカップを運ぼうとしていた手が止まる。ややあって向けられた物言いたげな――負い目はありつつ、他方でお前も大概だと言いたそうな――目に、俺はとぼけるような笑みを返した。別に嘘は言ってないだろ。 あるときは何かに取り憑かれたように一音一音を絞り出し、またあるときは駄々をこねる子どものように机にかじりついて。 寝食をも忘れて音楽に心血を注ぐ様を世は「本物」だと持て囃すのだろうが、そばで見ている身としては気が気でない。俺だってそうして作り上げた曲のことは宝物のように気に入っている。が、それはそれだ。オーバーワークで取り返しのつかない故障が残るなんてことはよくある話で、それを回避すべく机から引っぺがし、ベッドに転がし、差し入れもして。過ぎてみれば懐かしく思う気持ちはあるものの、あれには骨が折れた。 ……なんて、わざわざ口に出すつもりもないけれど。ただ一応晴臣の方も「大変」の一言に集約された諸々に思うところはあるらしい。尚もにこやかな表情を崩さずにいると、やがて降参とばかりにため息をついた。 「……まあ、徹夜はやめさせたほうがいいだろうな」 「俺としてはエナジードリンクで景気づけするのも勘弁願いたいなあ」 付け加えた言葉には無言のまま、わざわざこちらへ向き直ると見せつけるようにカップに口をつける。今は違うとでも主張するかのような素振りが何だか子どもじみていておかしかった。 「まあ若気の至りみたいなもんだし、別に気にしてないよ」 「うるせえ」 「なんだよ可愛げのない」 「そんなものを俺に求めるな。大体お前こそ、……」 デスクの上、もう片方のカップは未だ手付かずのまま他愛のない会話が続く。
2023-10-9